ブログタイトルの写真の家のクライアントから。
過ごしやすくなったこの季節になると、
お子さんが中庭でテントを張って寝ているとのこと。
これは設計したものにとって、予想外の出来事です。
設計とは、何らかの「意図」があって行われるものなのですが、
「意図」通りになればなるほど、不思議となんだか不自由に感じたりします。
だからと言って設計は、「意図」から逃れることはできないでしょう。
「意図から逃れる」意図が発生するというパラドックスを引き起こすから。
居心地の良い居酒屋。
・・・・こいつが設計されたものか、なんとなくそうなったものなのか。
設計したもののみえすいた「意図」を考えると、
圧倒的に「なんとなくそうなった」ほうに軍配があがるでしょう。
私はやはり設計できない「魅力」というものがあると思います。
では結局「設計」というのは何の役に立つのでしょう?
といってしまうと立場がなくなるので、こう考えることにしようと思います。
懸命に設計する。そして設計できない魅力的なものが、
設計という手からたくさんこぼれ落ちる。
そういう余白をたくさん含んだ設計ができないか、最近よく考えたりします。
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