お金を銀行から借りれるか?ということに
このプロジェクトの成否がかかっている・・・・
と思うと気がめいるので、
あまり考えないようにしています。
だけど考えなきゃいけない。
先日、某大学の講評会で、
佐呂間で設計活動をしている五十嵐氏と話す機会がありました。
氏いわく「500万円でアトリエをつくれるか?」。
私は、つくれるかつくれないかということよりも、
500万円という響きが好きになりました。
氏は、以前札幌近郊に1500万円の住宅を設計しています。
その建築を見せてもらいましたが、
相当な苦労・・・たぶん切り捨てる苦労で乗り切った、
そしてそれが良い方向に働いた、そんな建築という印象を持ちました。
私も同時期、ちょうどブログのタイトルバックに写っている
家を設計していて、やはり目指せ1500万円だったので、
とても苦労したのですが、アプローチは違いました。
私は、屋根、壁、窓の3点セットだけを用意し、
あとはセルフビルドでやってもらう・・・
かなり私も手伝いましたが、そうやって乗り切りました。
乗り切った・・・というと聞こえはいいですが、
当初できたのはほんとに屋根、壁、窓だけで、
お金ができるたびに、何かをやる。
工事は延々と続き、建築は変貌していく。
だから厳密にいうと1500万円ではないのです。
「時は金なり」を悪用?誤用?したやり方です。
それから「建築のボーダーレス化」をしました。
これは「時は金なり」とセットです。
ドアは建築か?床の色は建築か?キッチンは建築か?
家具とかスプーンとかと一緒と考えることにしたのです。
そんなふうに考えると肩の力が抜けるでしょう。
肩の力が抜ければ、クライアントがドアをつくったり
できそうな気がしてくるでしょう。
「建築なのかそうで無いのか」は、
工務店にとってはとても大切なことですが、
生活する人にとっては、建築か建築でないかは関係ないこと。
設計する立場からは、ほんとは壁の色とか重要だったりするんですが、
とにかく骨格を与えることのみを考えることにしました。
さて振り返って我が家(構想中)。
やはり金がないのはまぎれもない真実。
ちょっといい車の値段とはいえ、土地を買ってしまったら貯金0。
「切り捨て」も「時は金なり」作戦も「建築のボーダーレス化」も
総動員して、ほんとにできるのだろうか?
そんな中、「500万円」というのは、金銭の多少の話を超えた、
大きな意味があるのではないでしょうか?
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