ちょー便利か、洞窟

遠い昔の人は洞窟みたいなところで暮らしていたのだと思うのですが、
洞窟自体をどうするか?というのが建築の始まりだと思うのです。
洞窟から始まって、いろいろあって、これから建築はどうなっていくのか?

どっかで読んだんですが、
エジプトかなんかの古代遺跡を発掘して、建築物らしきものを調査しても、
一体全体これがなにに使われていたものなのか、わからないものがある。
なぜわからないかというと、いろいろ文化的な側面でわからないことが
あるからなのだろうと、調査した人は、考えているようです。
とするならば、建築は、その時代の文化を投影しているといえます。

近現代の基調となる潮流は、「便利にする」ということだろうと思います。
建築が文化を投影していると考えると、
徹底的に便利な建築とがあってもおかしくない。
たぶん徹底的に「便利」に作ろうとしているものとしては、
一つは工場というのはあります。

家でそんなものがあるのだろうかと考えた時、
私の無い知識の中で言うのもなんなんですが、
便利を「徹底」している家は、よく思い出してみても思い出せない。
「ダイマクシオンハウス」を思い浮かべてみたんですが、
これを便利というのは、何か違うような気がします。

家で便利になったものと言えば、
キッチンとか風呂とか便所とかの「部分」はあきらかに便利になりました。
それともう一つ家で便利になったことがあるとすれば、
それは、家そのものではなく、家を作ることでしょう。
部品は共通化され、木建問屋というところに頼めば、
家一軒分の部品が手際よくそろいます。
ここら辺を徹底し、もっと地球全体やシステムみたいなことまで
含めて考えられたのが「ダイマクシオンハウス」で、
それをもっと人に受入れやすく・・・・・
つまりなんとなくステレオタイプな家をイメージできるものに
ひよっていったのが、いわゆる現代の「家」だと言ったら言い過ぎでしょうか。

いすれにせよ、家の総体としての「便利」とは、なんなのか、
それに応えている建築を私は知りません。

612621


旧ワンダーアーキ建築設計事務所で行われていた「612621」が終わって一週間。
開催期間中の天候とはうってかわって、夏の日差しが差し込んできます。
10日間の喧噪がやみ、放置された作品に囲まれて、今日は静かな土曜日です。

頭まで静かになってしまって、あまり考えることができません。
あまり考えることができない中、ラウシェンバーグの残した言葉
「芸術も生活もつくることはできない。われわれは、その間の、
 定義しようのない空隙で仕事をしなければならない」が頭を巡っています。

それから「美はどこにあるのか?」ということが頭を巡っています。
建築には「用・強・美」があって
私は「強・美」しか残らないのではないのかと考えたんですが、
もっとも怪しいのは「美」なのです。
「美」こそ受け止める人の側にあると思うのです。

さあ、いよいよ楽しい自宅建設の計画をしよう・・・・
そんな矢先の逡巡です。

私は構造家になるべきでした


612621に来たアーティスト冨田氏とは、土曜の夜、日曜の昼と
とても有意義な議論を交わすことができました。

その中でも「建築は重力と戦わなければならない」と冨田氏がいうのは、
あたりまえすぎるからこそ、あらためていろいろ考える種になりました。

建築は、なんとなく長い間存在しているように感じられるものだから、
あらためて200年とか10年とか期間をきちんと考えると、
さまざまおかしなことが起きていることに気づきます。
最近まで大学内にある私のスタジオの横では、
設計演習の課題「小学校」をうんうんうなりながら学生たちがやっていましたが、
旧ワンダーアーキ事務所の前には小学校があって、そこを通りがかった時、
わたしだったらどんな小学校を設計するだろうか?と思いを馳せたりしたんです。
「結局のところ、構造しか残らないんじゃないか・・・」
という気持ちになっていたんです。
冨田氏との話は、そんなことを裏付けてくれるよう話でした。

大昔から「用・強・美」などといいますが、
本当は「強・美」だけが結局が残るのではないでしょうか?
「用」は使う側の創造性にゆだねられているような気がします。

200年


国交省とか自民党とかが200年住宅なる政策を打ち出しています。
民間のデベロッパーなどで100年住宅なるものは
どっかで見た記憶があるんですが、
200年というと、かなり考え方を変えないといけないとだまされます。

まず、「住宅」という文言は、はずすべきだと思います。
「住宅」という言葉を使って、
「住宅」を建てようとする人に、負担を求めているように見えます。
確かに衣食住と言う言葉があるので、「住む」ということが
200年先にもあることは間違いないと思うのですが、
「住み方」「暮らし方」は変わると思っておいた方がいい。
家族制度や社会のあり方などもかわるかもしれません。
200年前を考えてみてください。江戸時代です。
だから200年建築ということにしておかないと、
200年後の世界で住宅として通用するかどうかわからない。
建築という言葉にしておかないと、
なんだか末端の一住民が一生懸命200年住宅を建てる羽目になる。

それから建築教育を変えないといけない。
建築に携わる人々も意識を変革しないといけない。
どのように変えるかというと、「機能主義からの脱却」。
「近代建築さようなら」です。

もっとおおらかな建築を作らなければなりません。
建築家は、そういうのを作る方法を、
あたらしいパラダイムを模索しなければなりません。
機能主義というのは、設計方法論としては、
とてもよく出来た「主義」なのです。
だれにでも通用するし、簡単です。
だけど、或る部分、この時代にしか機能しないことがあります。
200年先を見据える時、今の時代にしか通用しない機能をもとに、
建築を作るのは、200年先にはおかどちがいになってしまいます。

それから、おおらかであることを許容する社会でなければなりません。
明日の銭金の話をしないといけない時に、
社会的ストックという美名に、
一枚も二枚ものっかる太っ腹な世の中である必要があります。
200年先の見ず知らずの人間が使うものに、
今、金を払うということです。
銀行が200年ローンを組ませてくれれば、これは本物でしょう。

なんだか批判めいた展開になりましたが、
目先の話で終わらせようとしているところが気に入らないだけなのです。
単純に丈夫に作って200年耐久させるという話にして、
「丈夫=いいことだ」みたいなわかりやすいけど、だましやすい話に
なりやすいというところが、なんだかうさんくさすぎる。
だけどそれを差し引けば「もっとも」なことだとと思います。

200年先を見据えるならば、
「地面の上に建てるものを作る」という発想から
「建築は地面そのものだ」というくらいの発想の転換が必要か、
「建築は建築そのものだ」というくらいの強弁が必要です。

はらっぱ


私には今、「説明のつかない場所」があります。

たとえば、この旧事務所(菊池邸建設予定地)。
事務所に使っていたときも、全体の1/4しか使ってませんでした。
しかも何に使うかわからず、意味不明のまま、
大学の後輩Kくん、Nくん、Mくんたちをそそのかし、
ひとつの部屋の床を抜いて、吹抜けにしてしまいました。
これでも1/3しか、事務所スペースはありません。
しかも別の場所にメインの事務所を移転したので、
いよいよなんといったらいいのかわからない。
「X」とか「スペース」とか言ってます。
それから、今週末には、おふくろがこっちにやってきて住むための
中古のマンションを買うのですが、これも来年くらいまでは、
住む予定が無いので、単なるスペースとして存在することになります。

普通は、「○○する場所」とか「××する場所」とかいうように、
なんらかの説明のつく場所を行ったり来たりしているものだと思います。
仕事なのか、学校なのか、住む場所なのか、休息したり、
買い物したりする場所なのか、あるいは不動産として、
金を生み出す場所というのもあると思います。
要するに「説明のつく場所」というところで生活しているのです。

そこにやってきた「スペースバブル」。
大人が「はらっぱ」を与えられたんだけども、
子供じゃないのでどうやって使ったらいいのかわからない。
そんな状態をすこし楽しもうと思います。

歴史

遠く故郷の四国松山を離れたのが・・・何年前だったでしょう。
札幌に来たときは、このバカに道が広いのと、まっすぐなことに、
正直、慣れませんでした。(名古屋もそうだった・・・)
人間のスケールに遠いというか、とにかくそれが嫌でした。
私が住んでいたところは、その中でも整然としたところだったので、
吹雪の夜、友達の家で飲んで帰る時、家々のシルエットがよく似ている
というのもあって、ほんとに遭難しそうになりました。

住めば都とはよくいったもので、そんなコトにも慣れました。
そしてまさしくこのスカスカした感じや、
整然としているところが札幌の歴史を物語っているし、
今やそこがいいんだよなあなどとのんきに思っていたら・・・・・

この三角形の敷地。
どう考えても札幌の歴史に反逆している。
開拓した年代によって測量の違いなどで、道がずれていたり、
局所的にへんな地割りをしてそうなったりしますが、
測量図を見ると、この当たりに一本の45度の境界線が
それこそビャーと通っています。
これも札幌らしい大胆さなのですが、
とにかくその角度が気になってしかたない。
ファイターズ通りがななめなのと関係ありそうだと、
辿ってみたら、どうやらこのあたりは
大友堀・・・いまの創世川・・・札幌を建設するために
掘られた水路が関係ありそうです。
どうやら歴史に反逆しているのではなくて、
まさしくこの三角形の敷地は「歴史」を持っているようです。
どうりで車が通るたびにひどく揺れると思った・・・

大きいこと


「小さいこと」を考えた次に、
とてつもなく「大きい家」について考えました。

例えば、超高層マンションまるまる一棟が「俺んち」だったら。
何をするんでしょうね。
あるいは、どこを何の部屋にしますかね。
ちょっとやそっとの豪邸じゃありませんよ。
あえていうなら、「皇居」かな。
だけど私が考えているのは、
敷地が広いのではなく、家そのものが大きいということです。

「大きい家」を考えることは、
やはり「家」とはなんのだろうと
考えるヒントになるのではないでしょうか。

でも私のうちの敷地は狭くて三角形なので、
そんなバカなこと考えてないで、
現実に目を向けろとカミさんに怒られそうです。