200年


国交省とか自民党とかが200年住宅なる政策を打ち出しています。
民間のデベロッパーなどで100年住宅なるものは
どっかで見た記憶があるんですが、
200年というと、かなり考え方を変えないといけないとだまされます。

まず、「住宅」という文言は、はずすべきだと思います。
「住宅」という言葉を使って、
「住宅」を建てようとする人に、負担を求めているように見えます。
確かに衣食住と言う言葉があるので、「住む」ということが
200年先にもあることは間違いないと思うのですが、
「住み方」「暮らし方」は変わると思っておいた方がいい。
家族制度や社会のあり方などもかわるかもしれません。
200年前を考えてみてください。江戸時代です。
だから200年建築ということにしておかないと、
200年後の世界で住宅として通用するかどうかわからない。
建築という言葉にしておかないと、
なんだか末端の一住民が一生懸命200年住宅を建てる羽目になる。

それから建築教育を変えないといけない。
建築に携わる人々も意識を変革しないといけない。
どのように変えるかというと、「機能主義からの脱却」。
「近代建築さようなら」です。

もっとおおらかな建築を作らなければなりません。
建築家は、そういうのを作る方法を、
あたらしいパラダイムを模索しなければなりません。
機能主義というのは、設計方法論としては、
とてもよく出来た「主義」なのです。
だれにでも通用するし、簡単です。
だけど、或る部分、この時代にしか機能しないことがあります。
200年先を見据える時、今の時代にしか通用しない機能をもとに、
建築を作るのは、200年先にはおかどちがいになってしまいます。

それから、おおらかであることを許容する社会でなければなりません。
明日の銭金の話をしないといけない時に、
社会的ストックという美名に、
一枚も二枚ものっかる太っ腹な世の中である必要があります。
200年先の見ず知らずの人間が使うものに、
今、金を払うということです。
銀行が200年ローンを組ませてくれれば、これは本物でしょう。

なんだか批判めいた展開になりましたが、
目先の話で終わらせようとしているところが気に入らないだけなのです。
単純に丈夫に作って200年耐久させるという話にして、
「丈夫=いいことだ」みたいなわかりやすいけど、だましやすい話に
なりやすいというところが、なんだかうさんくさすぎる。
だけどそれを差し引けば「もっとも」なことだとと思います。

200年先を見据えるならば、
「地面の上に建てるものを作る」という発想から
「建築は地面そのものだ」というくらいの発想の転換が必要か、
「建築は建築そのものだ」というくらいの強弁が必要です。

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